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東京家庭裁判所 昭和37年(家)2437号 審判

審   判

本籍 長野県中野市大字中野一、五二六番地

住所 新潟県中魚沼郡津南町大字下船渡戍二九〇番地

申立人

三浦君子

本籍 広島県御調郡向東村三二九八番地

住所 福岡県若松市藤木唐戸町五五一番地

相手方

高平純一

本籍 相手方に同じ

住所 申立人に同じ

事件本人

高平満

昭和二一年一月二二日生

上記のものの申立にかかる昭和三十七年(家)二四三六・二四三七号財産分与、扶養申立事件につき、当裁判所は、つぎのとおり審判する。

主文

1、相手方が、離婚に伴い申立人に分与すべき財産は、金銭をもつてこれを支払うべきものとし、その額を金一〇〇、〇〇〇円とする。

相手方は、申立人に対し、金一〇〇、〇〇〇円の支払をせよ

2、事件本人高平満の監護費用のうち、相手方の分担すべき金額を昭和三七年七月一日以降一ケ月金四、〇〇〇円とする。

相手方は、申立人に対し、昭和三七年七月一日以降昭和四一年一月二一日まで、一ケ月金四、〇〇〇円づつを毎月末日限り(ただし、昭和四一年一月分は、二、六四五円を同月二一日限り)、その支払をせよ。

理由

第一、申立の趣旨

相手方は、申立人に対し、

(1)  離婚に伴う財産分与をなし

(2)  当事者間に出生した事件本人高平満の監護費用の支払をせよ。

第二、申立の理由

1  申立人は、昭和一九年頃から相手方と同棲して、内縁の夫婦となり、昭和二一年一月一日相手方の子高平満を、昭和二四年七月三〇日同三浦雅子をそれぞれ分娩した。その後、昭和二五年二月八日申立人は、相手方と法律上の婚姻をしたが、昭和二七年一月二二日協議離婚をした。

申立人は、上記離婚後、上記満を現在にいたるまで監護、教育しているが、相手方は、昭和三三年七月二二日満を認知した。

2  ところで、申立人は、終戦後、相手方と、東京都において、夫婦生活をいとなんでいたが、その間、相手方から打つ、蹴るなどの虐待を受けたこともあり、昭和二四年八月九州若松市に在る相手方の実家で相手方とその父母らと同居するようになつてからも、申立人が相手方らの家業であるラジオ商、たばこ商などを懸命に手伝つたにもかかわらず、相手方から冷遇され、ついに上記のごとく離婚するにいたつたものである。

3  しこうして、相手方は、電気器具商をいとなむかたわら、ラジオの製作、電気工事などを請負い、相当の資産を所有しているものであるから、上記離婚に伴う財産分与として、申立人が独立して生計を維持するにたるだけの資産の分与を求めるとともに、上記満の監護費用について相手方の分担額を定め、その支払を命ずる旨の審判を求める(申立人は、満の養育費を扶養料として請求しているが、扶養請求権者は満であつて、申立人ではないから、本件は、子の監護に関する審判を求める申立と解すべきである)。

第三、判断

一、筆頭者高平純一の戸籍謄本(昭和三六年七月一一日付)、証人元重耕三の証言、申立人および相手方の各審問ならびに尋問の結果、高平ツヤ子審問の結果、調査官の調査官の調査報告(昭和三六年一二月一九日付、昭和三七年五月八日付、同年五月十日付、同年五月一一日付)、大割野病院長作成の証明書(いずれも、昭和二七年(家イ)第九〇〇号事件のものを含む)を綜合すると、つぎの各事実が認められる。

(1)  内縁関係の成立

申立人は、昭和一九年頃ラシヤ商の事務員として働いているうち、同じ下宿に止宿し、東京物理学校に在学していた相手方と知り合い、同年秋頃から同棲生活に入り、しだいに結婚を約束するようになつた。当時申立人は自己の給料により、相手方は親元からの仕送りにより、それぞれ生活費をまかない、相互に負担をかけるようなことはなかつた。

昭和二十年に入り、空襲が激しくなつたので、申立人は、相手方の勧めにより、九州若松市に在る相手方の実家に行つたこともあつたが、相手方の両親とあわなかつたため帰京し、同年五月下宿先が罹災した後は、申立人だけが長野県の実家に疎開し、同年一一月再び上京して、都下久留米村において、相手方と事実上夫婦としての共同生活をいとなむようになり、翌二一年一月二一日相手方の子事件本人高平満を分娩した。

(2)  結婚生活

その頃、相手方は、大蔵省嘱託として終戦事務に従事し、後、社団法人農工協力中央会の電気産業研究所、巣鴨拘置所などに勤務し、その収入で、夫婦の生計を維持、昭和二四年七月三〇日申立人は、相手方の子三浦雅子を分娩したが、申立人が相手方よりも八才年上であつたこと、双方ともわがままな性格であつたことなどから、夫婦のあいだは、必ずしも円満ではなく、意見の相違から相手方は、申立人を殴打することもあつた。

(3)  婚姻の成立

相手方は、昭和二四年八月頃申立人と上記二児を伴つて若松市の実家に戻り、そこで、相手方の両親と共同生活をするようになつたが、昭和二五年二月八日申立人と相手方の婚姻届をした。申立人は、家事を担当するかたわら、相手方の営業であるラジオ商や、父の営業であるたばこの小売などを手伝つたが、とくに、それをまかれて、営業に専念するほどではなかつた。

(4)  離婚の事情

しかし、上記のように、申立人と相手方の夫婦仲が円満でなかつたうえに、相手方の両親は、申立人をこころよく思わず、相手方も申立人をかばうような態度をとらなかつたため、申立人と相手方との夫婦仲はしだいに破綻し、昭和二六年一一月頃相手方から別れ話が出、結局

(イ) 相手方は、申立人に対し、慰藉料として金五〇、〇〇〇円を支払う、

(ロ) 申立人は、上記満を引取つて養育することとし、相手方は、その養育費として、満が成年に達するまで、一ケ月二〇〇〇円づつを申立人に支払う、

(ハ) 相手方は、上記雅子を引き取つて養育する、

ということで、申立人と相手方のあいだに離婚の合意が成立し、昭和二七年一月二二日その届出をした。そうして、上記慰藉料は、明確に、その金額が支払われたとは認め難い。

(5)  満の認知と監護

申立人は、上記離婚後、事件本人満を引き取り、後記のごとく、現在にいたるまで、引きつづき、同人を監護教育しているが、相手方は、昭和三三年七月二二日満の出生届をなすことにより、同人を認知した。

(6)  離婚当時の相手方の資産

上記のように、相手方は、終戦後は、俸給で生活し、実家に戻つてからは、ラジオ商や弱電気の工事などをしていた。上記離婚当時の相手方の資産については、これを明確にするにたる十分な資料はないが、相手方がその営業を初めたのは、昭和二五、六年頃であり、後記のごとく、その営業はしだいに拡大し、昭和二八年頃は、相手方が二〇〇、〇〇〇円を出資して、株式会社高平電気製作所(資本金二、〇〇〇、〇〇〇円)を設立している。

ただ、上記離婚当時相手方の所有に属する不動産は存在しなかつた。

(7)  離婚後の申立人の生活状態

申立人は、昭和二七年五月新潟県下に引越し、大丸商店に住込みで働き、月収四、〇〇〇円を得ていたこともあつたが、その後後料理店の女中などをし、昭和三五年一二月から、現在所で他人の店舗を賃料一ケ月七、〇〇〇円で賃借し、バーを経営している。その収入は、純益が一ケ月一〇、〇〇〇円ないし一三、〇〇〇円であり、その生活費としては、住居の賃料三、〇〇〇円のほか、食糧費、満の学費、衣料費だけでも五、一〇〇円を要するとされ、最低限の生活をしている。

満は、新潟県立津南高校に通学しているが、その授業料のうち、六〇〇円は、町からの奨学金によつて支弁している(上記学費のうちに、この六〇〇円は含まれていない)。

なお、申立人は、前記バーを開業するについて、いとこの湯本留子から一一〇、〇〇〇円を借り受け、現在二〇、〇〇〇円ないし三〇、〇〇〇円が債務として残つている。

(8)  離婚後の相手方の生活状態

相手方は、上記離婚後、当時の営業を継続し、その業績はしだいに上つて、昭和二八年頃申立人が二〇〇、〇〇〇円を出資して、資本金二〇〇〇、〇〇〇円の株式会社高平電気製作所を設立し、会社形態で前記の事業をいとなんでいたが、同会社は、昭和三四年に倒産し、申立人も、個人として、約一五、〇〇〇、〇〇〇円の保証債務を負うにいたつた。そこで、申立人は、約一〇〇、〇〇〇円を出資して、第二会社として、有限会社若松輸送機製作所を設立し、その代表社員として、報酬月額五〇、〇〇〇円を受け取る定めになつている。

しこうして、申立人は、昭和二七年六月二七日ツヤ子と婚姻し、現在同女とその間に出生した敬子(昭和二八年一二月三日生)、和明(昭和三〇年六月一二日生)を扶助し、申立人とのあいだに出生した雅子の養育は、父茂三郎にまかせ、その監護費用は負担していない。

相手方は、当裁判所の審問に対し、報酬は、規定どおり受け取つていないと述べ、昭和三六年一二月一九日の調査官の調査に対しては、月収四〇、〇〇〇円で生活は普通であると述べているが、昭和三七年五月一一日の調査報告によれば、相手方およびその妻ツヤ子は、昭和三七年一月以降は、相手方は、生活費として、一ケ月一〇、〇〇〇円ないし一七、〇〇〇円を妻に手渡すだけで、生活費に不足を生じ、入質などで不足を補い、また、買掛金債務等も五〇、〇〇〇円に上つていると述べているのであるが、調査官に対して、収支の明細を明かにすることを拒否している。

したがつて、相手方あるいは妻ツヤ子のこの点に関する供述は、必ずしも十分に信用できるものとはいえないし、報酬金債権として、月額五〇、〇〇〇円を有するわけであるから、これを基準として、本件審判をなすべきものと解する。(したがつて、手取月収額は、少くとも四〇、〇〇〇円はあるものというべきである)。

(9)  離婚後の養育費の支払状況

相手方は、上記離婚後昭和二九年六月にいたるまでと昭和三三年四月から一〇月まで、上記約定による一ケ月二、〇〇〇円づつの養育料(監護費用)を申立人に送金したほか、満が入学した際に五、〇〇〇円を申立人に送金している。しかし、その後の送金はしていない。

(10)  生活費の計算の基準

労働科学研究所が算定した都市における成年男子一人の消費単位を一〇〇とする性別、年令別等による人の消費単位と、消費単位一〇〇についての最低生活費は、別紙記載のとおりであり、申立人の現住地の最低生活費は、東京都(都市・一級地)の七三%と算定すべきものである。

2 財産分与の請求について

(1) 申立人は、相手方に対し、申立人が独立して生計を維持するにたる財産の分与を求めている。

そこで離婚給付としての財産分与の現行法上の性格について考えると、民法第七六八条が制定された経緯(戦後の改正にあたり、初めは、「相当の生計を維持するに足るべき財産の分与」の請求を認め、「当事者双方の資力その他一切の事情」がしんしやくされるという案になつていたものが、現行法のように改められて、法制化された)や現行法の表現の仕方によれば、わが国の財産分与の制度は、婚姻中に取得・蓄積され、もししくは維持され、したがつて、実質的には、夫婦の共有に属すると認められる財産を、その法形式上の名義人から、実質的に共有持分を有する他方配偶者に分与し、その実質的な共有関係を清算することに重点が置かれていると解すべきであろう(もつとも、その財産は、婚姻生活の物質的基礎をなすものであり、夫婦の生存がこれに託されていたものであるから、離婚に際し、これを分与するということは、離婚後の配偶者の生存を保障するという意味をもつものであり、この点を考慮にいれて、財産の分与を決定すべきであるが、離婚時に現存する財産の範囲を超えて、相当の生計を維持するにたるべき財産の分与をすることは、制度の目的を超えると考える。なお、配偶者の協力や離婚後の生存を考慮するということは、離婚により婚姻の継続に対する期待が失なわれた配偶者のこうむる損害を回復する意味を含むものであり、その限度で、当事者間に存する一切の事情がしんしやくされるわけであるけれども、離婚原因による精神的・物質的損害は、別に訴によつて、これを求むべきものと考える)。

(2) そこで、かような観点から本件を判断すると、離婚当時における相手方の資産は、明確ではないが、当時相手方は、弱電気の事業を経営し、二〜三年後には、相手方が二〇〇、〇〇〇円を出資して、資本金二〇〇〇、〇〇〇円の会社を設立しているのであるから、相手方所有の不動産はなかつたにしても、営業財産や営業に伴う無形の利益は、相当多額のものと評価されうるであろう(当時の収入などに関する相手方および高平茂三郎の供述は、全面的に信用することはできない)。

(3) そうして、申立人と相手方が婚姻し、離婚するにいたるまでの事情(一、(1)〜(4))を検討すると、夫婦仲が必ずしも円満ではなかつたとしても、その原因がひとり申立人側にのみあつたとはいえず、むしろ、相手方ないしその両親が、申立人が相手方より八才も年上であつたことから、婚姻を好ましくないと思つていたことにももとづくと考えられる節もあるし相手方は、当裁判所に対し、当初から申立人と結婚する意思はなかつたと供述しているのであるが――昭和三七年二月一日――、もしそうであつたとすれば、相手方の当時の行動は、非難に値いするものといえるであろうし、そのことばどおりでないにしても、婚姻の継続を好ましく思つていなかつたことはたやすく推認されるところである)。

また、申立人は、通常の主婦として家事を担当し、十分とはいえないまでも、営業の手伝をしてきたものである。

(4) なお、相手方は、当時、申立人に対し、慰藉料として、五〇、〇〇〇円を支払うことで、金銭的に解決されているから、財産分与の請求には応じられないというのであるが、叙上のごとく、財産分与の制度と慰藉料の制度とは、その性格を異にするものであるから、慰藉料についての約定が成立したからといつて、財産分与の請求をなしえないものではない。

もつとも、いわゆる慰藉料名義で、共有持分の清算を含めた離婚給付をなすことは、世上行なわれるところであるが、本件のように、資産に比し少額の慰藉料の約定がなされた場合には、特別の事情のない限り、財産分与の意味は含まれず、また、財産分与の請求を放棄したものということはできず、本件においてもそうである。

(5) 叙上の理由により、相手方が申立人に分与すべき財産は、金銭をもつてこれを支払うべく、その額は、一〇〇、〇〇〇円を担当と認める。

3 監護費用の分担について。

(1) 家事審判法は、離婚・婚姻の取消父の認知の際における子の監護者の指定、その後の監護者の変更その他子の監護に関する事項を家庭裁判所の審判事項と定めているのであるが(同法九条乙類四号)、その解釈として、監護費用の分担に関する審判は、叙上の監護者の指定もしくは変更をする場合に限り、これをすることができるとする見解がある。

しかしながら、民法は、子の福祉を図ることを社会的関心事とし、家庭裁判所をして、その任に当らしめている。そうして、監護費用は、子の生存の物質的基礎をなすものであるが、その額は、子の成長や社会的・経済的環境によつて変動せざるをえない。そうだとすれば、子の福祉を図るため、監護費用の分担を決定し、またはこれを変更することの必要は、叙上列挙の場合のみに限られるということはできないから、子が成年に達するまでのあいだは、いかなる時点においても、家庭裁判所は、監護費用の分担についての審判をなしうるものと解すべきである。

(2) しこうして、父母は、離婚後といえども、未成年の子の生活を保持すべき義務があるから、その資産・収入に応じて、監護費用を分担すべきものであるが、いわゆる生活保持義務は、子の生活を維持することが、同時に自己の生活を維持することになるという親子の本質的な在り方と必然的共同生活性を基礎として認められるものであるから、離婚により子と共同生活をしなくなつた親については、自己の生活を最低生活費以下に引き下げてまで、子の監護費用を分担すべきことを期待することはできないであろうし、ことに、本件のごとく、その親が新たな妻子と生活体を構成し、これを扶助している場合には、第一次的に、その妻子に対して、生活保持の義務を負つているのであるから、その共同生活に必要な最低限度の費用を切りつめてまで、他の生活体にある未成年者を扶助すべきことを期待しえないというべきであろう。

(3) ところで、

(イ) 事件本人が家族の一員として要する最低生活費は、申立人の現住地において、

(ロ) 申立人の最低生活費は、(申立人は別紙○印に該当)

(ハ) 相手方およびその家族の最低生活費は、

(ニ) 事件本人が、相手方に引き取られ、その家族と共同生活をしていると仮定した場合に、事件本人の生活費として費消されると認められる金員は、相手方の手取収入額を四〇、〇〇〇円としても、

である。

(4) 上記の計算によれば、

(イ) 事件本人に必要な最低生活費は、約六、六〇〇円であつて(①)、申立人が最低の生活費(②)で生活するとしても、申立人の収入が一三、〇〇〇円のときでさえ約二、〇〇〇円、その収入が一〇、〇〇〇円のときは約五、〇〇〇円不足するのであつて、その平均は、三、五〇〇円となる⑤。

(ロ) これに対し、相手方の収入は、その家族との共同生活に必要な最低の費用(③)を一二、四五〇円超える。

すなわち、相手方は、同人と生活を共同にする家族の最低生活を維持する以上の収入を得ているわけであるから、事件本人の生活費を分担するにたる資力があるといいうる。

(5) そうして、父、母の生活水準が異る場合に、いずれの水準により、事件本人の生活費を決定すべきかは、困難な問題であるが、事件本人および申立人が最低生活費(①+②)以下の生活費を余儀なくされていたのは、相手方が、事件本人に対する相応の生活費を分担しなかつたことによるものであるから、少くとも、申立人の生活水準によるべきものということはできない。そうして相手方は、事件本人の監護費用を負担するだけの資力があるのであるから、申立人自身も、最低生活だけは保障されて然るべきものということができ、したがつて、相手方が事件本人のために負担すべき監護費用は、三、五〇〇円(⑤)以上たるべきものである。

また、子の福祉を考えるならば、その監護費用は、程度の高い相手方の生活水準によるべきもの(事件本人が相手方に引き取られたとするならば、九、八七〇円の生活費(④)を与えられることになり、最低生活費=9,500×95/100=9,025をやや上廻ることになる)であり、これを事件本人の現住所に換算すると、約七、二〇〇円になる。そうして、この費用は、申立人もまた負担すべきものであるから、相手方の負担すべき金額は、七、二〇〇円以下になるものと計算される。

(6) そこで、申立人と相手方の収入および最低生活費、事件本人の監護費用について、さきに認定したように、一ケ月金二、〇〇〇円づつの金員を相手方が申立人に支払う旨の協定が成立していること、申立人は、昭和二七年本件調停の申立をなし、その手続の進行中、所在を不明にしたため、昭和三六年五月にいたり、ようやく手続を進行しうるようになつたことなど、諸般の事情を考慮し、事件本人が成年(昭和四一年一月二二日)に達するまでの監護費用のうち、相手方が分担すべき金額を昭和三七年七月一日以降は、前記協定による一ケ月金二、〇〇〇円を変更し、一ケ月金四、〇〇〇円とする。

4 よつて、離婚に伴う財産分与の方法、程度および事件本人高平満の監護費用の分担をそれぞれ上記2(5)、3(6)のごとく定めるとともに、相手方にその支払を命ずるのを相当と認め、主文のとおり審判する。

昭和三七年七月二三日

東京家庭裁判所

家事審判官 高 島 良 一

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